昭和レトロ団地で怪異が目を覚ます——
「エレベーターで“十三階”を押すと、帰ってこられなくなるらしい——」
昭和の香りが色濃く残る、古い団地。そこに引っ越してきた中学二年生の少年・ユウは、放課後の探検で存在しないはずの十三階ボタンを見つけてしまう。
ノスタルジックで少しだけ寂しい風景の中で、静かに忍び寄る“異常”。
怪異と日常の境目が曖昧になっていく中、ユウは「知ってはいけないもの」と向き合うことになる。
——本作は、団地を舞台に描かれる連作型ジュブナイルホラー小説シリーズ『団地異譚』の第一話。
都市伝説、昭和レトロ、青春の陰影……それらが混ざり合いながら、次第に隠されていた物語が目を覚ます。
第1話「異界エレベーター」
1.放課後 校門
夏が終わりかけた午後は、いつだって少し寂しい。
校門を抜けると、風が遠い海の匂いと、どこかで朽ちてゆく鉄の気配を運んできた。
夕陽は傾きかけ、すべてを赤く染め上げている。
錆びた鉄柵、色あせた防犯ポスター、
誰も遊ばなくなった公園の滑り台――そして、団地の屋根を見下ろすように立つ、白い巨大な塔。
僕はカメラを取り出し、ゆっくりとファインダーを覗いた。
団地の給水塔は、まるで時代に忘れられたモニュメントだった。
なめらかな円柱から丸みを帯びた先端へと流れるラインは美しく、
夕陽を反射して、陶器のように薄く輝いている。
けれどその頂に近づくにつれて、影は青白く色を失い、輪郭は不自然に震えているように見えた。
シャッターを切った瞬間、画像のプレビューが砂嵐めいたノイズで歪んだ。
「またかよ」
タクミが肩越しに笑う。
「給水塔なんて、古い時代の遺物だよな」
「いぶつ?」
タクミは学校の勉強はしないけど、変に物知りなところがあった。
「そ。昔はあの塔から団地中に水を送ってたんだって。今じゃただの非常用のタンクらしいけど――」
タクミが声をひそめる。
「夜中に小窓が青く光って、『存在しない十三階』に信号を送ってるって噂、知ってる?」
その声に混じって聞こえたのは、金属が軋むような微かな音だった気がする。
胸の奥に、小さな不安が芽生えた。
十三階なんて、あるわけがない。知っている。
でも、だからこそ確かめてみたくなる。
僕の指先は、知らないうちに冷えていた。
スマホがポケットの中で震える。〈K〉からのメッセージだ。
「今日の月、団地の影を引っぱってるね。」
画面から視線を上げると、影は実際に驚くほど長く伸びて、
まるで団地をどこか遠くへ引きずっていこうとしているように見えた。
〈K〉はうつむいた顔を上げさせてくれる存在。気づきをくれる存在だ。
でも、時折不安にさせてくる。
「なあユウ、行ってみようぜ。13階」
タクミの明るい声に返事をする代わりに、僕はもう一度給水塔を見上げた。
夕陽はもうほとんど沈みかけている。
青く染まった影がじわじわと塔を覆い、さっきよりも少しだけ、闇が深くなっていた。

2.駄菓子屋〈夕凪堂〉
団地の一階には、昭和から時間が止まったような小さな駄菓子屋が入っている。
入り口の引き戸はいつも半開きで、
風が吹くたびカタカタと小さく揺れた。
店内に入ると、鼻をくすぐる甘いジュースとお菓子と醤油だかソースだかの香りに、
僕は不思議と胸が苦しくなった。
まだそんなには遠くない幼い日の記憶が、匂いとともによみがえる。
奥にあるレジには、髪を丁寧に白くまとめた割烹着姿のばあちゃんが座っている。
ゆっくり顔を上げ、視線を合わせて微笑んだ。
「おや、夜に出歩くなら塩が要るよ」
声は穏やかだったが、どこか確信めいた響きを帯びていた。
ばあちゃんは手元の瓶から黄と白の縞模様の飴を取り出し、
銀色の薄紙に包んでそっと差し出す。
紙の真ん中に、子どもの悪戯書きのような《13》という数字があった。
「忘れたいことがあるなら噛むんだよ。忘れたくない思い出なら、ゆっくり舐めな」
不思議なことを言いながら、ばあちゃんは小さく頷いた。
「……どっちにするかは、坊やの影と相談して決めたらええ」
「影?」
タクミが小声で冗談めかして聞き返すが、ばあちゃんはそれ以上は何も答えなかった。
ただ静かに、にっこりと微笑み続けているだけだった。
外に出ると、夕陽はさらに沈み、辺りを濃い藍色の影が覆い始めていた。
あの飴を握りしめると、指先に冷たい感触が残った。

3. 共用廊下
エレベーターへと向かう共用廊下の壁には、誰がいつ書いたのか
赤いスプレーで描かれた《13》がひっそりと存在を主張していた。
指でそっとなぞってみると、ひんやりとした空洞を触ったような感触が残る。
まるで数字の裏に何もないみたいだ。
ふと、塔が気になって見上げる。
すると給水塔の小窓が、また一瞬青白く光った気がした。
僕はもう一度カメラを構え、急いでシャッターを切る。
その画像もまた、砂嵐のようなノイズに侵されていた。
「またダメか?」
タクミはそう言って苦笑するが、僕の胸の奥には言い知れぬ不安が広がり始めていた。
「壊れてんじゃね、そのカメラ」
「そうかも」
でも、原因はカメラじゃないことくらい、本当はわかっていた。
4. 叔母の家 22:30
両親が北欧へ発って僕一人叔母の家へ引っ越してきた日から、この部屋で過ごす夜がいつも長い。
叔母の知美さんは、夜勤で不在だった。
ダンボールがまだ隅に積まれたままのリビングには、孤独が薄暗く漂っている。
「温めて食べてね」という書置きと共に冷蔵庫に入っていたオムライス。
それが乗っていた皿を洗い終えると、リビングのソファに座りテレビを付けた。
テレビ画面には、行方不明の少年のニュースが映っていた。
見覚えのある制服、特徴のあるくせ毛。
たしかラジオが好きなやつだった気がする。胸がざわついた。
スマホの通知が光る。〈K〉からの新しいメッセージ。
『今日は、月が団地の影を引きずってるみたい』
妙な胸騒ぎがして、僕は窓から外を見た。
月光が団地を青白く照らし、影が地面を深く伸びていた。
また一通、通知が鳴る。
『23:57。赤くなるから気をつけて』
時計を見る。心拍が少しだけ速まるのを感じる。
どうして彼女は、僕の見る景色を知っているんだろう。
5. 集合玄関 23:45
玄関ホールに入ると、蛍光灯がちらちらと明滅していた。
タクミとカナエはもう来ていて、壁にもたれて待っている。
「ちょっと、本当に行くの?」
カナエの声は震えている。
タクミが彼女を茶化すように肘で小突いた。
「大丈夫だって。見たらすぐ帰るから」
そのとき、奥から誰かがこちらをじっと見ていることに気がついた。
薄暗い光の中に革ジャンを着た渋い中年の男――刑事の多賀城が立っていた。
「夜遊びすんなガキども。何時だと思ってんだ。早く帰れ」
声には威圧感があったが、どこか疲れも滲んでいた。
僕らが黙っていると、刑事は小さくため息をつき、肩を落として歩き去った。
振り返って見ると、彼の影が二重に分かれて壁に揺れたように見えた。
「行くぞ」
タクミが震えを誤魔化すように強気に言い放ち、僕らはエレベーターに向かう。

6. エレベーター 23:57
多賀城刑事が戻って来ないか気にしつつ、上のボタンを押しエレベーターを待つ。
手が汗で濡れていた。
怖い気持ちは・・・・・・無いと強がりたいけど、あるのは仕方ない。
でもわからない事をわからないままにしておく方が僕には怖かった。
チン!と音を立てエレベーターの扉が開く。
僕らは顔を見合わせ、頷きあって中に乗り込んだ。
エレベーターの中は不自然に静かで、空気が肌にまとわりつくようだった。
中の操作パネルは12階までの建物なのにボタンが一つ多かった。
12階のボタンの上に何も書かれてないボタンが一つある。
大人は業者のミスだとか言っていたけど、子供にはどうしたって想像力をかきたてられた。
だからこんな噂が出たんだろうな。と頭の中で理性的な部分の自分は思っていた。
13階なんてあるわけない。
『23:57。赤くなるから気をつけて』
ふと、Kからのメッセージが頭をよぎる。スマホを見た。
表示は23:56分。
瞬間、エレベーターの明かりが落ちた。
「ひっ」
「うわああ!」
それぞれの悲鳴を聞く中、僕は声を出せなかった。
僕の目は一番上の何も書かれてなかったボタン。
《13》と赤い光で表示されたボタンを凝視していた。
ガタン!音を立ててエレベーターが上昇していく。
いつもの昇る速度より早かった。
「お、おい押したのかよ!」
タクミの問いに、僕もカナエも「「押してない!」」と焦った声で答える。
タクミの喉が小さく鳴った。カナエは僕の腕を掴んで震えている。
僕は急いで他の階のパネルのボタンを全部押した。
「だめだ止まらない!」
エレベーターが昇っているあいだ耳に微かな耳鳴りが響いていた。
耳の外でもあんなに音を立てて上昇していたのに、エレベーターはやがて静かに停止した。
「・・・・・・開かないぞ」
タクミが言うように着いたはずなのに、扉はなかなか開かなかった。
着いた。どこに・・・・・・?
その時チン!と音が鳴り、ゆっくり扉が開いた。

7. 十三階
扉が静かに開き、その先に広がっていたのは、僕らが知る景色ではなかった。
ひび割れた打ちっぱなしのコンクリートの壁にむき出しの配線が血管のように垂れ下がっている。
そして薄赤く照らされた照明。
「どうすんだよ。行くのかよ」
タクミが震える声で聞いてくる。
「タクミが13階行こうって言ったんだろ・・・・・・」
言いながら僕は1階のボタンを押したが反応がない。他のボタンも同様だった。
出るしかない。
僕がエレベーターから出ると二人もおそるおそる続いた。
・・・・・・おかしい。
通常エレベーターホールから出て正面は階段があり、すぐ横を向くと片側には部屋が並んでいて、
もう片側は大きく開かれていて外と繋がっているはずだった。
だが今目の前に広がっている光景は全く違う。
エレベーターから出て正面はずっと廊下が続いていて、どこも外と繋がっていない閉じられた空間になっていた。
僕は写真を構え、ファインダーの中の光景が理解できずにいた。
構造上こんなに長いわけがない。どうなってるんだ?
シャッターを押しながら僕はパニックになった。
いや、そもそも下から見上げても13階ぶんのスペースなんかなかったのだ。
この空間自体存在するはずがない。
昇っていたつもりが地下に来たのか?いや、確かに昇っていた・・・・・・。
その時ふと自分の足が何かを踏んでいることに気が付いた。
足元を見ると、カード状のものだった。
その左上半分、少年の顔写真が青白く廊下の蛍光灯に照らされている。
見覚えのある形状、そして顔・・・・・・学生証だ。
「これって・・・・・・!」
「……ユウ、タクミがいない!」
カナエの悲鳴に振り返ると、そこにあったはずの友人の姿はなく、
代わりに影のような黒い人型がゆっくりと廊下の奥へ滑るように消えていった。
「タクミ!!」
影を追いかけて廊下を走ると奥にドアがあるのが見えた。
そのドアからは青い明りが漏れ、その隙間から伸びる、青白く細い腕。
その手は、僕をまっすぐに指差していた。
ギョッとなって立ち止まる。
ふと微かな痛みを感じ自分の手首を見ると、いつの間にか青く浮かび上がった鍵穴型の痣がうっすらと光っていた。
なんだこれ・・・・・・!

8. 境界線
突然、耳の奥で甲高い金属音が響いた。息が詰まるほどの重圧が身体を押しつぶそうとしている。
廊下の奥で何かが蠢いていた。それは次第に近づいてくる。
近づいてくるとそれが何であるかわかった。
さっきの影の人型だ。何体もいる。
「ユウ!逃げないと!」
カナエの声が頭のどこかを通り過ぎていくが足が動かない。
影から目を離せなかった。
その時、後ろからサッと大きな人影が飛び出してきた。
多賀城刑事だった。
彼は無言のまま床にしゃがみ込み、ポケットから取り出したチョークで自分の前に大きく線を引いた。
それと同時に、耳鳴りが不思議なほど弱まり、影が白線の前からじりじりと後退した。
「エレベーターに向かって走れ。背を向けて、何も見るな」
静かな力強い声で多賀城刑事に肩を叩かれ体の硬直が解けた。足が動く。
僕は言うとおり一度も振り返らずエレベーターに向かって走った。扉は開いている。
9. 下降
転がり込むようにエレベーターの中に入る。中にはカナエが待っていた。
続いて多賀城刑事も追いついて乗り込んできた。
「タクミがまだ!」
「大丈夫だ」
僕の訴えに短く答えると多賀城刑事は一階のボタンを押し、続けて閉じるボタンを押した。
その胸元で、細い銀色の鍵が静かに揺れているのが見えた。
僕が何度押しても全く反応がなかったのに、ドアが閉まり下降を始める。
一階に着くと、タクミが心配そうな顔で出迎えた。
「ユウ!カナエ!」
「タクミ!どこにいたんだよ!」
「刑事さんが助けてくれて」
「とにかく良かった・・・・・・!」
刑事は大きく息を吐くと、僕のポケットに名刺を差し込み短く言った。
「塔の光が誘う夜は、必ず一線を引け」
彼はそれ以上何も言わず、闇に向かってゆっくりと歩き去った。
10. 影像 深夜1:15
自室に戻って写真をパソコンに取り込むと、画面にはまた砂嵐が広がっていた。
だが、そのノイズの奥で、ドアのようなシルエットとそこから漏れる青い光が見えた。
目を凝らすと、ぼんやりとした白い影。ワンピースを着た少女の姿が、幽かに浮かび上がっている。
背筋が凍ったその瞬間、スマホが震えた。
画面には〈K〉のメッセージ。
『降りてこられて、よかったね』
ゾッとしてスマホを取り落としてしまった。
耳を澄ますと、エレベーターの駆動音が聞こえる気がする。
僕はポケットに入れた飴を取り出した。
「忘れたいなら噛む。忘れたくないなら舐めな」
ばあちゃんの言葉が頭を巡った。迷った末に、僕は飴をゆっくりと舌の上で転がした。

──第一話 了
■次回予告『団地異譚:存在しない十三階のはなし』第2話
旧棟の深夜ラジオ
――夜、ふと耳に飛び込んできたのは、ノイズ混じりの昭和の交通情報。
ユウは団地内で奇妙なチラシを拾う。
“深夜放送を録音してほしい”――差出人は、行方不明の”ラジオ少年”。
そして今は使われていないはずの「旧棟」から、誰かの助けを呼ぶ声が響く。
やがて、ユウはある部屋で奇妙な黒猫と再び出会う。
黒猫の視線の先、ラジオは、ありえない周波数にチューニングされていた。
真夜中の団地が、異界へのチューニングを始める。
次回、封印された旧棟の記憶が音に乗って蘇る――。
第2話「旧棟の深夜ラジオ」 coming soon――。